伊豆半島東部の川奈崎沖周辺では、1998年4月の活動のあと比較的静穏化していた地震活動が、2006年になって活発化した(図1)。2006年は1月26日、2月20日および3月30日と3回の地震活動が発生して、徐々に活動度が高まり、4月17日からの活動では更に活発なものとなった。4月21日にM5.8(気象庁マグニチュード、以下も同様)の地震が発生し震度4が観測され、震源分布が南南東方向へ伸び、その南端で4月22日にM4.8の地震が発生した (図2)。その後、川奈沖の地震活動度は低調になってきたが、周辺部では4月30日にM4.5の地震が発生し、5月2日にはM5.1の地震が発生した。地震活動は約10kmの深さから始まり、7〜8kmくらいまで上昇する活動を何度か繰り返したあと、約1週間程度で低調な活動度になっている。
これまでの地震活動は、川奈崎および汐吹崎周辺のほぼ同じ場所で発生していたが、詳しく見ると発生時期ごとに位置が異なっている。2002年以降の活動は深さ7km以深でしか発生せず、1990年代の活動のように浅部に移動してから多数の有感地震を伴うような活動ではなかった(図3)。2006年の活動においても、7〜10kmの領域で、約1ヶ月ごとに場所を変えて発生した。4月17日からの活動域は1997年3月の活動域の下で、M5.4の地震は1998年4月の活動域の下である(図4)。
地震研究所では、1971年11月に伊東市奥野で委託観測を始めたのが伊豆半島での最初の定常的な観測である。その後、1975年9月に河津町と天城湯ヶ島町に地震観測点を設置し、連続観測体制の元で震源決定が行えるようになり、今日に至る。当初のデータは、現地における紙記録であったため、時刻精度や読み取り精度が悪く、観測点密度も低いため、震源決定精度が良いとは言えない。現在の高密度高精度地震観測網と比較をすることは困難であるが、過去の震源分布がどのようなものであったかを知ることは可能であるため、伊豆半島東部における1年ごとの震央分布図を作った(図5、図6、図7)。ただし、臨時観測点を設置するなどして、使用している観測点の増減があるため、検知能力は一定ではない。
伊豆半島東部において、はじめて群発地震活動が観測されたのは、1978年11月下旬のことである。川奈崎沖で地震活動が始まり、東南東方向へ移動し、12月3日にはM5.5の地震が発生して南南東方向へ地震活動が拡大している。この約1年前の1月14日には伊豆大島近海地震(M7.0)が発生していて、余震活動が続いていた。6月には、川奈崎と汐吹崎の間でも小さな地震活動が発生していた。これ以前には、北伊豆地震が発生した1930年に群発地震活動が記録されているだけである。このあと毎年のように川奈崎周辺で群発地震活動が発生し、1989年の海底噴火に至るような活動もあった。
今回(2006年)の活動の特徴のうち、1990年代の活動と異なるものは、深さ7〜10kmが主な地震活動域で震源が浅くならないことと、短い間隔(約1ヶ月)で連続して活動し続けたことで、1982年と1988年に似た活動が観測されている。1982年の場合は、3月に汐吹崎の直下で、5月に川奈崎の直下で、9月にその東方沖で地震活動があり、それらの震源は7〜10kmの深さのままであった。翌年の1月の活動では浅部に至り、M4.6の地震(1983年1月20日)を含む活動になった。1988年は、2月と4月に同様な深さで地震活動があり、7月の活動では浅部に至り、M5.2の地震(1988年7月31日)を含む活発な活動になった。どちらも浅部で活発な地震活動の末、大きな地震が発生して終息するが、今回の活動は浅い地震に至らないまま大きな地震が発生した、今までになかった活動である。
地震研究所伊東観測点(図3の星印)のボアホール型地殻変動観測では、1月26日、2月20日、3月30日の地震活動に対応して、傾斜計のN38E成分に変化が見られるが、4月17日からの活動に対しては顕著な変化が見られなかった(図8、図9)。1月末から連続して続いていた傾斜変動は、現在なくなっている。一方で、1月、2月、3月の地震活動に対応した変化が見られなかったひずみ計が、3月30日の活動では若干見られた。4月17日からの活動では、全成分に顕著に見られたが、現在はその変化も小さくなった。